次に、和田さんのうるし掻きカンナとうるし掻き鎌を見せていただいた。

越前の道具が(○に五)ほとんどで田子(○にと)のものが少し混じる。、道具の研ぎは基本的な形状をしている。
和田さんによると、生うるしの価格が高かったときは、長崎の国旗事件の翌年で1貫目25,000円。さらに翌年が10,000円ほどに下がったそうだ。
和田さんが嬉しかったのは、宮様の結婚式に使うので売ってほしいと言われて1貫目8,000円で買い求められたこと。まことに職人名利に尽きる話と思う。
(記/松本和明)
写真は和田さんの道具です。たくましい機能美にあふれていて“生きた道具”だなあと思いました。
その後も生うるしの価格は下がり、和田さんは自らバイクにまたがり、鬼無里から木曽まで直接注文取りをして歩いたそうです。

松本が近所の漆の立ち木を見に、和田さんに案内して頂いたのですが、83才にして背筋をのばし颯爽とバイクにまたがるこの姿!

終戦後はシベリア抑留になり、無事帰還したあと、この仕事に就いたそうです。苦労された経験も持ちつつ、多くの時代を乗り越えて今なお熱心に山と向き合う、日本男性の粘り強さを見せていただけたと思います。和田さん、お世話をして下さった長野市鬼無里の市所長代理の宮下さん、ありがとうございました。