2005年04月30日

失ったもの

にぃーが亡くなって数日経ちました。ふだん満ちていた器の底に穴が開き、するする中身が抜け落ちたような気持ちです。
こんな時はふだん考えないようなテーマ… 生と死、死と再生、出会いと別れ、偶発か必然か分からぬ個々の運命、といった人類普遍の思考の輪にどうしても落ちこんでしまい、私の小さな頭脳は抜けられなくなってしまいます。
メディアはJR脱線事故その他のニュースで持ちきりです。「行ってきます」と元気に家を出て生きて帰らなかった子、その日たまたま忘れ物をして思わぬ命拾いをした人、終の住処を失った人…。平凡な日常が突然非日常になる様子がなまなましく飛び込んできます。

にぃーはすぐ亡骸が見つかりましたが、行方知れずのままならどんなに心残りなことでしょう。失ったものが猫でなく、まして自分で産み育てた我が子なら自分の魂を売ってでも戻ってほしいと願うでしょう。
そして、表面的には平和で豊かでいわゆる「人権」が通用する社会だからこそ、ひとりひとりの運命が愛惜の情を持って見つめられる時代だが、この社会がつくられるまで… さまざまな苦悩や混乱を経ていた世代の人々の、人生模様はいかばかりだったでしょう。我が子を戦地に送り遺骨のひとかけらも戻らなかった人、浮き世の不条理に翻弄され声もなく人生を終えた大勢の人…。そんな祖先の声なき想いのしみ込んだ土壌に生きる私も、いつかその仲間に加わるのでしょう。

一匹の猫が、誰もが絶対避けられない運命…
私の身のうえにも必ず何度も訪れるであろう“死”と“別れ”。この存在をはっきりとなまなましく目の前に突き付けてくれました。突然訪れるその瞬間、一個人として厳粛に受け止め、耐え抜き、時には戦うことができるようにしたい。そう思いました。
posted by sawako miyazaki at 23:00| 日記